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シュッケの理想と現実


 某テレビ局。会議室。
「何よッ! この企画は!」
 会議室中に轟くヒステリックな声。
 また「活火山」が噴火を起こしてる。
 使えない放送作家の卵の、使えない企画案が、番組プロデューサーの、柴田淳子(三十三歳・独身)の逆鱗に触れたらしい。
 情熱的な赤いスーツでバシッとキメた女プロデューサーは、ホワイトボードの前、仁王立ちして、こめかみをピクつかせている。
「よくこんなしょーもないアイディア、持ち込めたわねぇ。勇気あるわ、アナタ。
「ローカル局だってこんな茶番やんないわよ!
「誰が恥かくと思ってんのよ!
 マシンガンの如く罵倒されて、青年作家は、恐怖と恥辱に青ざめ、ブルブルと震えている。
 そのくらいでいいじゃないか
 もうやめときなよ
 作家への同情と淳子への反発の色が、出席者全員の表情に浮かんでいる。
 しかし、淳子はやめない。
「どこの大学出てんの?」
 フウーッとタバコの煙を作家の顔に、吐きかける。
 ケホッケホッと作家がむせた。
「どこの大学を出たのかって訊いてるの」
「・・・○○大です」
「はあ」
 聞こえよがしに、溜息をつき、
「やっぱ学歴って大切よねえ。四流大学だと持ってくる企画も四流だわ」
 ちなみに淳子は一流私大卒である。
 周囲は完全にヒイている。嵐が通り過ぎるのを待つ。いつものことだ。
「実家、農家だったっけ? 田舎帰ってカボチャでも作ったら? 諦めるのも才能よ」
 美人プロデューサーのありがた〜いご託宣に、無邪気に成功を夢見て、この業界に飛び込んできた作家は随喜の涙を流した。

 同社屋、男性トイレにて。
「勘弁して欲しいよなあ」
 会議終了後、若い男性スタッフの面々が、用を足しながら、ボヤいている。
「あの新人作家、そろそろ限界だろ。潰れるのも時間の問題だな」
「毎回、大噴火だもんな〜」
「マジムカツクよ、あのP」
 男性スタッフによる愚痴大会は、淳子批判に向かうのが通例である。
「エライサンと寝て出世したクセにさ」
 淳子の評判は良くない。
 異例の抜擢につぐ抜擢で、メキメキと頭角をあらわした美貌の敏腕プロデューサー。上からの期待に応えて、しっかり結果は出してきた。だが、容赦のない性格が災いして、人望がない。まったくない。
「こっちの身がもたねぇよ」
「ま、三月までの辛抱だ」
「だな」
 ニタニタ笑うスタッフたち。
 もうすぐ、あの鬼プロデューサーも局を退社する。
 寿退社ではない。

 出 家 す る の で あ る。

「アイツおかしいんじゃねえか?」
 スタッフのひとりがコメントする。
「金にも男にも不自由してねーんだろ?」
「かなりマジらしいぞ。マンションも家財も売って、尼寺に寄進しちまったんだってさ」
「もしかして出家先ってオ○ムなんじゃないの?」
「まっさか〜」
「でもさ〜、あの女が仏の道に目覚めるタマか?」
「ともあれ、あの鬼の柴田Pが、もうすぐ尼さんとはなぁ〜」
「丸ボウズになって、ナムアミダブツって?」
「ケッサクだよな〜」
 スタッフ連中は大笑いして、溜飲を下げた。

 淳子の送別会。
「イヤ〜、さすが柴田サンっすねえ」
 若手お笑い芸人の山澤が、淳子のグラスにビールを注ぎ足しながら、何度も点頭している。傲慢オンナに頭を下げるのも、これが最後と思うと、ヨイショも滑らかにできるのだろう。
「なかなかできるこっちゃないっすよ〜。あえて、出世の道を捨てて、女の幸せも捨てて、信仰の世界へ。感服しました」
 山澤の相方の松野も媚びおさめに加わる。芸能人で淳子の送別会に顔を出したのは、この売れない漫才コンビだけである。
 ―虚し・・・。
 プロデューサーだった頃は、その余慶にあずかろうと、芸能人どもが、一流三流、老若男女問わず、淳子の許に駕を連ねたものである。
 中には、そっと、ケータイの番号を渡してくる若いイケメン俳優もいたりして。
 これも、プロデューサーの役得、と美味しくツマませて頂いたりして。
 皆、辞めるとなった途端、掌を返し、番組で散々使ってやった連中も、形式ばかりの慰労の言葉ばかりで、金と時間の供出を渋る有様。この惜別の宴に現れたのも、タダ酒目当ての暇な芸人ふたりきり。
 芸能界は冷たい。
 今まで現場で苦楽を分かち合ってきたスタッフ連も、ソワソワ時間を気にして、ひとり脱け、ふたり脱け。
 ―やっぱり、こんな世界、辞めて正解だったわ。
 改めて思う。
「是非一度お聞きしたかったんスけど、なんで出家しようとか思ったんです?」
 松野に尋ねられ、
「そうねぇ〜」
と勿体つけて
「疲れちゃったのかな」
 どうも人生のエアポケットに陥ってしまったらしい。
 担当番組が高視聴率をマークしても、ホストクラブで底抜けに豪遊しても、妙に醒めた自分がいる。
 ―なんだかなあ。
 こういうとき、得てして人はマヤクかシューキョーにハマる。
 淳子が選択したのは後者だった。
 たまたま、バラエティ番組で、「ダメ芸人を禅寺でビシビシ鍛える」という企画案があり、プロデューサー自ら、休暇も兼ねて、京都に出張し、あちこち下見をしている うちに、座禅や瞑想の類の虜になってしまった。
 世知辛い浮世を離れて、看経三昧。悪くないな、と思った。
 ―いっそ尼にでもなって。
 奥山に閑居して、ホトトギスの声をききながら、風月を愛で、お茶をたて、静かに写経する脱俗生活。平穏で、清らかで、儚げで、優雅な・・・。まるで「源氏物語」のような世界。
 文学少女だったキャリアウーマンにとって、その妄想は蟲惑的だった。
 実生活の倦怠と反比例して、だんだんと妄想は膨張していった。
 渡りに船。友人の親戚が尼寺にいて、そこでは尼僧志願者を受け入れてくれるという。
「剃髪の義務はないらしいよ」
 友人のこの一言で決断した。
 早速、件の尼寺に問い合わせたら、あっさり入門を許可された。
 ただちに身辺の整理にとりかかる。目を白黒させている上司のデスクに、辞表を置き、マンションを売り、洋服も宝石も、他人にくれてやった。
 これで、晴れて出家の身だ。ひとり悦に入る。
「よく決心しましたねえ」
 タダ酒でほろ酔い加減の、山澤は同じことを繰り返している。
「やっぱアレですか? 瀬戸内寂聴さんみたいに、頭ツルツルにしちゃうんスか?」
「フン」
と鼻で笑ってやった。酔っている。
「いいかあ? 耳の穴かっぽじって、よぉく聞け」
と数日後には尼僧になる予定のキャリアウーマンは、三流芸人の短髪を掴んで、ねじ伏せ、
「ツルツルにはなんないんだよ。わかる? ウハツの尼僧ってやつだ」
 アタシが坊主頭になんかなるわきゃないだろ、と三流芸人に、頭からビールを注ぎかける。
「アッハッハッ。そうっすよね〜。例え徳の高〜いお坊様でも、柴田サンの美しいオグシに剃刀なんて入れられるはずないっすよね〜」
 三流芸人はビールまみれになりながら、無理矢理、笑顔をつくる。
「でしょう? わかってるじゃない? あんたも、せいぜいレギュラー番組の一本でも持てるように精進なさい」
「柴田サンの功徳で、ボクらも何だか、運が開けてきた気がします」
 今宵最後のオベンチャラが耳に心地良く響き、淳子は高笑いした。

 一週間後。某尼寺。
「珍念! 白湯!」
「はああい!」
 ドタドタ廊下を走る足音がして、
「お待たせいたしましたあ!」
 有髪に作務衣の新米尼僧、柴田真妙こと、淳子が、主人の投げたフリスビーをくわえて駆けてくる犬のように、湯呑みを捧げ持って、姉弟子の慧明の許へ、馳せ参じる。
「遅ェ」
 バシッと経本で頭をはたかれ、
「申し訳ありませんでしたあッ!」
 十代の高卒の姉弟子にペコペコ叩頭する。年下だろうが、学歴が下だろうが、入門が一日でも早ければ姉弟子。それが仏門の世界だ。
「そうだ。珍念、パン買ってこい」
「パ、パンですか?」
「見つかんなよ」
 さっさと行け! と追いたてられる新米尼さんの後姿に、つい一週間前までの颯爽としたキャリアウーマンの面影はなかった。
 ―こんなはずじゃ・・・。
 臍を噛む。
 「源氏物語」のヒロインどころか、パシリの中学生である。
 尼寺がこんな体育会系だとは思わなかった。
 とにかく一日中駆けずり回る。小間使いさながらに、追い使われる。掃除。草むしり。 薪割り。畑仕事。全員分の炊事と洗濯。敷地内の土砂運びや大工仕事までやらされる。連日の肉体労働に、体が悲鳴をあげている。ゆっくり風月を愛でてなどいる暇はない。睡眠時間すらろくに与えてもらえないのだ。
 百歩譲ってそれは我慢しよう。
 だが、自分より年下で低学歴でブスの先輩尼たちに、叱責され、小突かれ、コキ使われるのは、元やり手テレビマンのプライドが許してくれない。
 先輩尼たちの鋭敏な嗅覚は、そうした淳子の高慢な本音を嗅いだようで、「新人教育」に一層拍車がかかる。
 真妙という尼僧名があるのに、「珍念」なんてアダ名をつけられ、パシらされまくる。
 ―こんなトコ、脱走しよう。
と入門二日目からずっと考えているが、全財産を処分してしまい、無一文である。カッコつけて辞めた手前、今更、元の業界にも戻れない。
 近所の駄菓子屋でメロンパンを購入し、猛ダッシュで、取って返す。
「パン買ってきましたあ!」
「メロンパンかよ」
 カレーパンが良かったのに、と慧明は不満そうだ。
 だったら最初に言えよ、と腹が立つが、
「スミマセン」
「ホントに使えねーな、お前は」
「スミマセン」
「もういい。お前が食え」
 買ってきたパンをつき返された。
「スミマセン」
 一つ覚えのように、スミマセンを繰り返す。
 悄然と立ち去る妹弟子の背中に、
「バレないように、便所で食えよ」
と、姉弟子のありがたい配慮。
 便所の中で、食べたくもないメロンパンをボソボソ齧る。こんな姿を、かつて叱り飛ばしてきた部下が目撃したら、我が目を疑うに違いない。泣きたくなる。
「おーい、珍念! どこだぁ?」
 また別の姉弟子のご指名だ。
「ハイ! いま行きますッ!」
 急いで、口の中にパンを詰め込んだ。

 この日、夜の勤行を終えて、また慧明の招集を受けた。
「何か御用でしょうか?」
 マッサージでもさせられるのか、と思って参上すると、
「夜の粥に髪の毛が入ってた。お前のだ」
 出し抜けに言われた。
「一昨日もだ。なあ、宥倫?」
 慧明の隣で、やはり先輩尼の宥倫が首肯している。
「スミマセンでしたッ!」
 とっさに頭を下げる。前屈運動に従って、バサリと垂れ下がる長い前髪を、クリクリボウズの慧明は、ためつすがめつ、
「いい機会だから、サッパリ丸めちゃえよ、頭。ウチらみたいにさ」
 ゾクリ。悪寒が走る。
「いや・・・それは・・・ちょっと・・・」
 しどろもどろになる新入りに、労名主の如き先輩尼は、
「いいじゃねーか。鬱陶しいだろ? アタシが切ってやるから安心しな」
「でも・・・剃髪は別に・・・強制ではないと・・・」
「甘ったれんな。剃髪もしないで一人前の尼になれるか。気合い入れてやる」
 唐突に山澤の顔が脳裏に浮かんだ。

 あれは一年前だった。
 深夜のバラエティー番組にアイツを起用した。
 「チャレンジに失敗したら罰ゲームで丸刈り」という企画だった。勿論、適当なところで、失敗するよう、因果を含めた。視聴者が期待してるのは、チャレンジの成功ではない。ダメ芸人が無様に丸坊主になるシーンなのだ。
「柴田サ〜ン、カンベンして下さいよォ」
 ロン毛茶髪の伊達男、山澤は泣きを入れてきたが、淳子は許さなかった。
「アンタさあ、自分の立場わきまえてる? 視聴者が観たいのは、アンタの罰ゲームなの。別にイヤならやめちゃってもいいのよ? 他に代わりの芸人なんて幾らでもいるんだしさ」
 山澤は泣く泣く承諾した。
 丸刈りになるときは、できるだけ抵抗しろ、と演出をつけた。ラグビー部の大学生を雇った。彼らに半分本気で嫌がる山澤を組み伏せさせ、バリカンでゾリゾリ、丸刈りにした。
「柴田サン、Sでしょ?」
 山澤の苦悶の表情に、目を輝かせる淳子に、ADが呆れていた。
 絶対権力者としてのサディスティックな歓喜。自分の一言で芸人が一匹、丸坊主になるのだ。
「最後、土下座でオチにしよっか」
と嬉々として指示を出した。

「わかりました」
 淳子、いや真妙は腹をきめた。
「剃ります」
 尼になったからには仕方ない。こんなヤツらに、優越感を抱かせる芽はひとつでも、摘んでおくに、越したことはない。
「よっしゃ! 決まった!」
 珍念のその言葉を待ち構えていた慧明は、腕まくりして、
「宥倫、寺務所にバリカンがあったろ。借りてこい」
 ―バ、バリカン!
 狼狽した。
 剃刀を使うのではないのか?  「源氏物語」からは、あまりにもかけ離れすぎている。まるで、野球小僧だ。
 ―剃髪まで体育会系なの?!
 「バリカン」という語感が、耳に生々しい。語感だけで、気持ちをグルグルかきまわす。自分も山澤みたく、容赦なくバリバリやられるのだ。これは報いなのか? 激しい恐怖に襲われる。
「あの・・・ちょっと・・・」
 生半可な覚悟など一気に崩れ去る。
「スミマセン! やっぱりできませんッ!」
 また、長い前髪がハラリ。
「なんだと?!」
「スミマセンッ!」
 小娘ふたりに土下座する。恥も外聞もなかった。
「お前、たった今、剃るっつったろーが!」
「スミマセンッ!」
 この一点張りで逃げ切るしかない。
「このヘタレ!」
「スミマセンッ! 自分、ヘタレなんですッ!」
「わかったよ」
 慧明も十五近く年上の女の醜態に、毒気を抜かれた様子だった。
 ホッとした。体中、冷や汗で滲んでいる。
「珍念、お前、ダメ尼だ」
「スミマセンッ!」
「スミマセンで済めば、戒律なんていらないよ」
 宥倫が尻馬に乗った。
「スミマセンッ!」
「勿体ねーな」
 慧明は言った。失望したトーンがあった。
「お前、一皮むけるチャンス、逃したんだぞ」
「スミマセンッ!」
「もういい。帰れ」
 以後、炊事の際は気をつけろ、との訓戒付きで解放された。
「申し訳ありませんでしたッ!」
 軽蔑の眼差しから逃れるように、室を退出する。
 慧明の言うとおり、チャンスを逃したのかも知れない。うっすらと思った。

 珍念としてのパシリ生活は続く。
 むしろエスカレートしていく。
「珍念、マックのテリヤキバーガーが食いたい。買ってこい」
「あの・・・それは・・・」
 駅前のマクドナルドまでは、作務を抜け出して、買い物に行くには、遠すぎる。
「無理ですよ〜」
「そうか。ちょっと待ってろ。バリカンとってくるから」
「い、行きますッ! 買ってきますうッ!」
 尼寺の自転車漕いで、駅に向かう。当然、後で、作務をサボッたことががバレて、こっぴどく怒られた。
 あるいは・・・
「珍念、その漬物石持ってくれる?」
「ええっ?! コレ50kgはありますよ? アタシ一人じゃ、とても・・・」
「できないって言うの?」
「はあ・・・」
「よし、じゃあ『気合い』を入れてあげよう」
「わ、わかりましたっ! やります! やりますから! フン! ぐっ・・・うっ・・・うぬぬぬぬ(プルプル)」
「お〜、力持ちじゃん」
 とにかく「剃髪」「バリカン」「気合い」の語を聞けば、震えあがる。逃れたい一心で、どんな無理難題にも服従する。
 レズという噂のある眞智に誘われたこともある。
 美人の真妙は、以前から彼女に、それとなくモーションをかけられていたのだが、なんとか断ってきた。しかし、バリカンをチラつかされ、
「珍念、剃髪する?」
と脅されては、是非も無し、である。
 何もしない、と誓わせて、同衾した。勿論、誓言は履行されず、おぞましい目にあった。たっぷりと。

 もう身も心もボロボロである。
 廃人みたいな状態になって、流し場で嘔吐した。アルミの流し台に自分の姿が、映ってる。虚ろな目でそれを見る。
 あんなに綺麗だった自慢の髪も、日々の生活に追われているうちに、傷みきって、ボサボサだ。
 ―こんなもんか・・・。
 虚しい。
「オイ、珍念」
 背後に慧明が立っていた。
「なんでしょう?」
「またマックが食いたい。今日はフィッシュバーガーな」
「無理です」
「バリカンで気合い入れられたいか?」
「お願いします」
 即答した。
「ホウ」
 慧明は驚くより、嬉しそうな顔をした。
「いいんだな?」
「はい」
 これも即答だった。
「バリカン借りてくるから、逃げるなよ」
「あの・・」
「また怖気づいたか?」
「バリカンなら眞智さんの手元にあります」
「いい度胸だ」
 後悔はなかった。いや、むしろ
 ―これでラクになれる。
と心底安心した。

 ウィーンウィーン
 ジジジ・・・ザザ・・・
 バサリ
 年下の姉弟子の手によって、黒髪が一房切り離される。
 畳の上に古新聞を敷いて、座らされ、ケープの代わりに、でかいポリ袋に穴をあけてかぶらされている。
 先輩尼たちが数人、新人が、自分らと同じ頭になる模様を、興味津々見守っている。
 ―終わったな。
 バリカンに初めて、髪との接触を許した瞬間、漠然と、何事かが終息に向かって、動き出したのを感じた。
 慧明から渡された手鏡には、長い髪の女が放心状態で映っている。
 髪が前から後ろに、ズー、ズー、と押し運ばれ、盛り上がって、頭上にとどまろうと、ほんの一瞬、悪あがいて、すぐに力尽き、ドサドサとこぼれ落ちていく。滝のように。
 ―なんて容易いんだろう・・・。
 ロングヘアーの敏腕プロデューサーから、剃髪の尼僧へと。黒い殻を破って、青い尼僧のヒナが露になって。
 素敵な髪ですね、とかつて寝たイケメン俳優が褒めてくれ、ベッドで愛おしそうに、そっと舌を這わせた、その髪が、誰のものでもない、ただの一般ゴミになって、古新聞に積もっていく。
 ジジジジ・・・ザザ・・・ジャリジャリジャリジャリ・・・
 バサリ
 ジジジジ・・・ザザ・・・ジャリジャリジャリジャリ・・・
 バサリ
 たまらなくなった。鏡から目を逸らす。古新聞に目をおとす。新聞の記事を拾い読む。そうやって、現実逃避。
 ・・・祭りで10日、呼び物の・・・踊りがあり、港町に陽気な・・・は古くから・・・は江戸時代・・・船乗りたちが・・・ったのが起源とされる・・・踊りでは・・・市政三十周年を祝って・・・観光客らも・・・にぎやかに・・・バサリ!

 読んでいた記事の上に黒い塊が覆いかぶさる。思わず目を瞑った。
「真妙! 逃げんな!」
 慧明が初めて淳子の正式な僧名を口にした。
「お前の剃髪だろ! 根性据えてちゃんと見届けろ!」
「ハ、ハイ!」
 ふたたび手鏡を持ち上げるが、、
 ―みっともないっ!
 トラ刈り頭の自分にまた目をそむけかける。

KOUKISI_SHIBATAATUKO01.JPG - 7,014BYTES

「ちゃんと見とけ!」
すかさず慧明の叱咤が飛ぶ。
「ハイッ!」
 臨時の理髪師は、キビキビと乱れ髪を伐採して、瑞々しい青の耕地を広げていく。
 バリカンの荒々しい行為が、徐々に解放感に似た快感を呼び覚ます。
 身体が削られて、削られて、新しい丸い輪郭が、クッキリと出現していく。
「気持ちいいだろ?」
「ハイ!」
 確かに爽快だ。モヤッとした霧が、スッと晴れていくような。
「実はアタシもさ、ここに来たときは、結構髪、長かったんだよね」
 慧明が言った。優しい口調だった。
「腰まであったんだよ。信じられる?」
「そうなんですか?」
「そこにいる宥倫もロン毛でさあ。二人並んで座らされて、バサッとやられたよ。先輩に。こんなふうに」
「すごく悲しかったけどさ」
と宥倫。「慧明、大泣きしてたよね」
「うるせえ」
 慧明は照れて笑い、剃髪真っ最中の半端者に、
「真妙、お前にはナンにもねー」
と突き放した言い方をした。
 確かに慧明の言うとおりだ、と素直に思った。家も金もない。体力もない。尼として仏教の知識もない。経文を満足に唱えることすらできない。ダメ尼だ。
KOUKISHI_03.JPG - 5,553BYTES  もうすぐ唯一の財産だった髪も無くなる。
 ジジジジ・・・ザザザ・・・バサリ
 ジジジジ・・・ザザザ・・・バサリ

 鏡の中には頼りなげなクリクリの小坊主がいた。
 ―なあんだ。
 拍子抜けした。かなり若返った。
 意外にカワイイじゃん、
とニンマリする。
 高慢な美人プロデューサーでもなく、卑屈な「珍念」でもなく、ただの一介の新発意。それ以上でもそれ以下でもない。
「ゼロからやれ」
と慧明は真妙の頭についた髪を、乱暴に払い落としながら言った。
「ハイッ!」
 意地悪な姉弟子たちに深々とお辞儀した。
 ―出家の道は厳しいな〜。

 数ヵ月後。
 尼寺にテレビ局が訪れた。
 バラエティー番組のロケだった。
 真妙がプロデューサー時代に持ち上がった、「ダメ芸人が寺で修行」の企画が、ようやく実現の運びになったのだった。
 企画に協力してくれる寺がどこかないか、とスタッフが額を集めて相談した結果、柴田サンの寺はどうだろう、となり、打診があった。
 断りきれず、おそるおそる住職にお伺いをたてたら、あっさりOKされた。
「ちょっとォ〜、柴田サ〜ン」
 ロケにやって来た「ダメ芸人」こと山澤は、鬼プロデューサーの変貌ぶりに困惑していた。
「どっから見ても尼さんじゃないっすか〜」
「まだ見習いですけどね」
 相方の松野とは喧嘩別れして、いまはピンでやっているという山澤に、
「俺もようやくレギュラー番組、持つことになってさあ。ま、お互い頑張ろうや。ヨロシクね」
とタメ口きかれても、腹は立たない。底辺で揉まれに揉まれて、タフになった。
「あの・・・坂田さんは・・・どうしてます?」
 散々イビッてきた放送作家の消息を尋ねる。
「ああ、アイツ? アイツも頑張ってるよ。今回の企画に参加してる」
「そうですか」
 ホッとした。
「今回、柴田サンが修行の指導してくれるんだって?」
「弱っちゃってるんですよ〜。私、ペーペーの新米なのに、住職が強引に推薦なさって・・・」
「一応、修行ってタテマエだからさ、昔みたいに俺のことガンガンいたぶってくれよ」
「無理ですよ〜。私、他人を指導できるほど、知識も経験もないもの」
だから山澤さん、と真妙は三流から二流半くらいにはなった若手芸人に、拝む真似をして、
「私をイジッちゃって。スタッフにもお願いしときますから」
「柴田サンを?!」
 山澤は「活火山」の申し出に仰天する。
「そっちの方が番組的にも成功すると思うの」
 寺に修行に来たはずのダメ芸人が、修行先のダメ尼さんの要領の悪さにキレて、逆にツッコみまくる結果に、というシチュエーションを、悩んだ末、思いついたのだった。
 尼さんをイジったりしたら、祟られるんじゃないの、と及び腰の山澤を説得した。
「ダメなヤツはイジられてなんぼ。バラエティーの鉄則でしょ?」
 ちょっとだけ、昔の顔になった。
「柴田サン、大きくなったねえ。マジで惚れちゃいそう」
 プライドの高かった元プロデューサーの成長に、山澤はお世辞ではなく感嘆していた。

 真妙の提案どおり、山澤は収録でハジけまくった。
 容赦しなくていいから、と収録前に念を押しておいた。人生最後の演出だ。
 最初は、さぐりさぐりだった山澤も、真妙のダメっぷりにツッコんでいるうちに、ノリはじめ、
「しっかりしろよ!」
と頭をペシペシはたいたり、
「いいじゃん、いいじゃん」
と抱きついてセクハラ行為におよんだりと、本来のキャラを生かし、暴走しまくった。
 江戸の仇を長崎で討つ魂胆を起こしたのだろう。ついには、
「コノヤロッ! このナマクラボウズが! テメーこそ、ちゃんと修行してんのか?」
とプロレス技をかけられた。
 かつて虫ケラみたいに扱ってきた山澤に、がっしりサソリ固めをキメられ、
「ス、ス、スミマセンッ! しょ、精進しますうッ!」
と青い頭をプルプル震わせながら、ヒィヒィ悶絶している尼僧真妙は活き活きとしていた。
 罰当たりな撮影クルーたちが爆笑するのを聞き、恍惚と、
 ―このコンビいけるんじゃない?
 自分の未知の才能を発見し、業界人の血が騒いだ。
 とどめにヘッドロックをかまされ、
「お前なんて、尼さんに向いてねーよっ! やめちまえッ!」
 握りこぶしで坊主頭をグリグリされた。
「珍念! お前、ホントにこの世界向いてないよ!」
 慧明の冷やかす声に、先輩尼たちも大笑いする。悪意のない冷やかしに、悪意のない笑い。
「ギエエ〜ッ! カ、カンベンして下さいッ! じ、自分でも向いてないって、お、思ってるんですぅ〜! 出家なんて考えて、ホントに自分は大バカでしたああ!」
とカメラの前で、のたうちまわりながら、
 ―アタシ、いま、すごくオイシイ!
 と興奮した。
 このロケが終わったら、山澤の押しかけ女房になろう、と決意した。ふたりで夫婦漫才やって、天下を狙おうと。

                 (了)



後日談




    あとがき

今回は「懲役七〇〇年」初の「在家出身」尼であります。
書いてる間、「自分にこの女主人公が救えるんだろうか?」とずっと不安でしたが、結びを書き終え、ホッとしております。
このラスト、二重の意味で救いだった。
「尼になる女」をヒロインにしつづければ、当然「尼になること=正しいor結論」という予定調和が繰り返されることになり、それでは宗教推進ぽくなってしまう。今回の「尼になったけどダメでした。やめます」オチはスゴイ気に入ってます。
しかし尼寺とテレビマンを冒涜してる、と非難されても反論できない。



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