作品集に戻る


小ぼんちゃんとパパ






たぶん、いや、きっと私は忘れないだろう・・・。


パパと一緒に過ごしたあの夏休みを・・・





「真澄ぃぃ! ちょっと来ーい!」
 クーラーをガンガンにきかせた自室で、コウダクミを聴いていたら、父が呼んだ。相変わらず、バカみたいにデカイ声だ。
「うるせぇなあ」
 人をイヌみたいに、とブツブツ不平を言いながらも、CDをとめ、部屋を出る。
 居間では、父が待ち構えていた。テレビを観ている。高校野球の地区予選が放映されている。
 甲子園常連の名門校VS偏差値は高いが、野球はからっきしの弱小校。一方的なゲーム。
「夏はいいなあ」
と父が同意を求めるように言う。無視した。オヤジの無駄口に付き合う舌はもっていない。
 父は、娘にシカトされても、平然と、ニタニタ、鬚面を笑み崩している。
 僧堂で七年間修行を積んだ猛者だけあって、反抗期の小娘の冷淡な態度など、意にも介さない。
 しかも、今日は妙にウキウキと上機嫌で、
「シットダウンプリイズ」
「日本語でしゃべれよ」
 ツッコみながらも、畳にあぐらをかいて、座る。
「何の用だよ、オヤジ?」
「お前、最近言葉遣いが悪いな」
「うるせぇな」
「まあ、いい」
 父はあっさり愛娘への、マナー教育を放擲して、
「今年のお盆だがな、お前、お父さんと一緒に檀家回れや」
「なんでだよ!」
 いきなりの「出動要請」に仰天する。
「克典がいるだろ?」
 毎年のお盆参りの助手は、弟の仕事のはずだ。
「克典は中学校の部活がある」
 お前、どうせブラブラしてるんだろう? と厭な事を言われる。ムカツクが事実だ。しかし、
「やだ」
暇人は、暇人なりにスケジュールがある。コンパ、カラオケ、ショッピング、こないだ合コンで知り合った男子大学生と海にも行きたい。
「オヤジひとりで回れよ」
「昔は一緒に回ってくれたじゃないか」
 そんな事もあった。小学生の時分の話だ。
 袈裟を着させられて、父にくっついて、お経をよんで回った。
 カワイイねえ、と訪問先では、ツインテールの少女尼さんはアイドル扱いだった。
 ニックネームは「小ぼんちゃん」。小坊主さんを意味するらしかった。
ちょっと、こそばゆいけれど、甘美な思い出だ。
「とにかくやんないからな」
 もう「小ぼんちゃん」は卒業したのだ。
 確かに、お盆の父の付き添い役を、弟に奪われたときには、少なからず寂しかった。それは認める。
が、やはり過去の話だ。
 高校二年生にもなって、「小ぼんちゃん」に復帰するつもりはない。毛頭ない。
年頃の娘が、何が悲しくて、袈裟着て、鬚オヤジとペアを組んで、ムニャムニャお経をよまなくてはならないのだ。
 冗談は顔だけにしろよ、オヤジ、と心中毒づく。
「いいじゃないか。やろう」
 鬚坊主は、しつこい。どうしても娘と「デート」したいらしい。
「やんねーっつってんだろ!」
「バイト料、払うぞ」
「マジかよ?」
 バイト料と聞いて、真澄の態度がやや軟化する。
「バイト料って、幾らだよ?」
「そうだなあ・・・」
 父の提示した金額に、さらに生意気娘の心はグラつく。
 ファーストフード、流行の服、ケータイ料金、そしてデート代。今時の女子高生は、何かとモノイリである。
 モノイリにもかかわらず、予算は、といえば、大赤字だ。財布は常時、軽い。めっちゃ軽い。
 先月、無断欠席が祟って、ハンバーガーショップのバイトを、クビになった。
 二日前もバイトの面接に落ちたばかりである。
 どうも、自分はカタギの仕事には、向いてないらしい。
 ─いっそ○○にでも走るか?
などとヤバイ選択肢が脳裏の一角に浮かびはじめた矢先だけに、父の勧誘するバイトは、たまらなく魅力的だ。
 ネコニマタタビ。砂漠の流浪者に水筒。病気のオトッツアンに高麗人参である。
「仕方ねえなあ」
 やってやるよ、と勿体ぶって、恩に着せるように、承諾。
「よし! 頼んだぞ」
 交渉成立。
「で、髪なんだが」
 父の視線は、真澄のいかにも今風の、シャギーの入ったセミロングに。
「切らねーからな」
 即答する。
「そうか」
 視線は真澄のセミロングから、野球中継に移る。
 丸刈りの強豪校が長髪の弱小校とのゲームを、五回コールドで制して、校歌を斉唱している。
「やっぱ、高校球児は坊主が基本だよなあ。坊主はいいよなあ。サッパリして。夏は坊主が一番だなあ」
 聞こえよがしに、ひとりごちている。
 ─坊主にさせるつもりだったのかよっ!
 とんでもないオヤジだ。仮にも自分は娘だ。
「ゼッテー、髪切らねーからなっ!」
 ぶっとい釘を刺しておいた。ブスッと。

「似合うぞ」
 六年ぶりの、真澄の袈裟姿に父が、鬚をイジりながら、相好を崩す。
 袈裟姿を褒められても、ちっとも嬉しくない。しかも父なんかに。
 今年の夏は、ファッション雑誌でチェックしていたキャミソールを着て、ストリートを闊歩する予定だったが、予定はあくまで予定でしかなく、小坊主スタイルで読経三昧の毎日を、送る破目になってしまった。
 お経は小さい頃、父に教わったから、大丈夫だ。
 大きくなって帰ってきた「小ぼんちゃん」はアチコチで歓迎された。

 たまに不愉快な事もある。
「あれ? 真山サン?」
 中学時代の同級生の信二が、「小ぼんちゃん」に声をかけてきた。
 信二はチキン野郎だ。
 かつては、散々イジめたものだ。
 オーソドックスにジュースを買いにパシらせるのを皮切りに、トイレで水浸しの刑や、裸土下座の刑、全校集会で奇声の刑、学年一のブスに告白の刑など、数々の名裁きを下してやった。
 信二の家は、真澄の寺の檀家だ。
 小坊主真澄の出現に、信二は目を丸くしている。
「うるせえ、イノブタ」
と昔の仇名とともに、ケリをくれる。
 ―だから地元の檀家はイヤなんだよっ!
 他にも何人か、懐かしい顔に出くわした。
 全てはバイト代の為、と堪える。
 思わぬ、というか、実は、期待していた特別収入もある。
 えらいねえ、コレ取っときな、とお布施とは別に、オコズカイを貰えたりすることもあるのだ。
 ―よっしゃ!
 内心ガッツポーズをキメつつ、押し頂く。
 T町のオシゲバアチャンに一万円を渡されたときは、さすがに困惑した。
「おばあちゃん、コレ受け取れないよ」
 オシゲバアチャンは年金で、細々と暮らしている。一万円という額は、けして安いものではない。
「いいんだよぉ」
と老婆は皺だらけの顔をクシャクシャにして、笑い、
「アタシャねえ、死ぬ前にもう一度、小ぼんちゃんのお経、聞かせてもらって、嬉しいんだよ〜。これで極楽往生間違いなしだねえ」
 強引にお札を握らされた。
 ―使えないよ〜。
 小遣いをもらって、途方に暮れたのは、初めてだった。
「いい経験だったろ」
と後で、父が言った。
 確かに、いい経験だ。
 あちこちで感謝される。喜んでもらえる。
 小さい子供に合掌されて、戸惑ったこともあった。
 こんなに有難がられて、お金まで手に入る。いいバイトだ。
 いや、むしろ、いつの間にか、唯一の目的だったバイト代など、どうでも良くなる。貰えるに越したことはないけど。
 ―こういうのもイイなあ。
と思う反面、
 ―こんなんでいいのかなあ・・・。
 ハンパな自分に疑問がわく。
 ―もうちょい、気合入れてかないと。
 その点、父は頼もしい。態度も立派だし、読経もどうに入ったものだ。
 やっぱりホンモノだ、と思う。ちょっとカッコイイ。
 毎日一緒に行動しているうちに、見直しはじめる。
 父の方でも、何年かぶりに、娘と二人きりの時間がもてて、嬉しいらしい。
 ちょっと足をのばしてみるかと檀家参りの合間に、車を走らせて、むかし家族でよく訪れた運動公園や、海岸に、真澄を連れていく。
 こんな格好じゃ恥ずかしい、と車から降りようとしない、思春期の娘を、父は
「何言ってんだ」
と、無理やり、外に引っ張り出す。
 本当だったら、キャミソールを着て、逆ナンした大学生と遊びに来てるはずの砂浜で、僧衣姿で、同じく僧衣の父と、海に沈む太陽を眺めている。
 父が売店で買ってきてくれたヤキソバを、ふたりで食べながら、
 ―悪くないなあ・・・。
 意外に、ファザコンな自分に気付いたりする。

 父に散髪してもらった日の情景を回想する。

 あれは中学にあがる前日だった。
 中学生になるのだから、気持ちを入れ替える為に、髪を切ってやる、と突然、父が言い出した。
「もうお姉さんなんだぞ。気合を入れて、小学生気分をフッ飛ばしてやる」
と父は、真澄の、いかにも「良家のお嬢さん」風のロングヘアーにザクザクとハサミを入れていった。
 父の男性的なヘアカットは、感傷よりも高揚を、真澄に喚起させた。
 これから中学生になるんだ、という前向きな感情が沸き起こった。
 できあがった田舎くさいオカッパ頭を鏡で見たときは、
 ―ワカメちゃんみたい。
とショックだったが、
「中学生らしくなったなあ」
と、父の分厚い手にグシャッと頭を撫でられ、甘酸っぱい気持ちになった。
 もしかしたら、それが、父娘の最後のコミュニケーションだったかも知れない。

 ―あの頃は、「オヤジ」じゃなくって、「パパ」って呼んでたっけなあ・・・。
 追憶にふけっていると、
「そろそろ行くか」
 父が立ち上がる。
「・・・うん」
 名残り惜しげに、海岸を離れる娘に、父が、
「真澄」
「なんだよ?」
「頭丸めたら、バイト代、五千円上乗せしてやるぞ」
 くだらない冗談をかます父に
「ザケンナ」
 ツッコミはいつもの迫力を欠いていた。

 蝉時雨。
 庭で父と克典の声がする。
 庭に面した縁側に、新聞紙を敷いて、父が、サッカー部の試合を明日に控えた克典を、バリカンで丸刈りにしていた。
 ふくれっ面の弟に、
「色気づいて髪なんぞ伸ばしやがって」「気合い入れてやる、気合い!」
と容赦なくバリカンの洗礼を浴びせている。体育会系の父らしい。
 ションボリとした顔で、頭を丸くされている弟の様子に、舌打ちする。
 ―情けねーなあ。
 弟がちょっと、いや、かなり羨ましい。
 父の太い、筋肉質の、逞しい腕が、仏師の一刀彫のように、坊主頭を彫り刻んでいる。
 中学入学前夜の出来事が、脳裏にオーバーラップする。
 もう一度、あんな心持ちになりたい。そんな衝動に駆られる。
 ―暑いなあ。
 セミロングが鬱陶しい。
 坊主頭の小ぼんちゃんの方が、ずっと本格的だ。プロの坊さんは無理だが、セミプロぐらいにはなれるだろう。
 ―やるならハンパはイヤだしな。金貰ってんだし。
 総ては本音で、総ては自分への言い訳。
 小坊主第一号を完成させた父が、真澄の視線に気付いた。
 ニヤニヤと
「どうだ?」
と真澄に向かって、ホームバリカンを掲げてみせる。
 考えるよりも先に、体の方が動いていた。
 縁側に腰掛け、自らケープをかぶる。そして、
「やって!」
「よっしゃ」
 ジョリジョリジョリ!
 バサ、バサ、バサ!
「オヤジッ!」
 真澄が仰天して、猛抗議する。
 乙女に対するデリカシーがなさすぎる。
 坊主刈りを注文したのは、確かであるが、年頃の娘が頭を丸めるのだ。
 打てば響くような具合に、バリカンを走らされても、パニクる。
 立ち食いそば屋ではないのだ。
 もっと・・・
 
「本当にいいんだな」
 「(俯きながら)・・・うん。お願い」
 「そうか・・・わかった・・・(しんみり)」

的な、センチメンタリズムがあって然るべきなんじゃないか。
「オンナノコが坊主になるんだよ! 心の準備くらいさせろよ!」
「坊主刈りに必要なのは、心の準備じゃなくて、バリカンだ」
「ったくよォ」
 ―でも・・・
 心のどこかで、この、父ならではの、荒々しさ、ぶっきらぼうさを、期待していた真澄がいる。
「じゃあ、やめるか」
 父がバリカンのスイッチを切った。
「あ・・・ちょ・・・あ・・・」
 うろたえる。
 ―この、ドSオヤジが・・・。
 すでにセミロングの一部は、除去されてしまっている。こんな前衛的な髪型、丸坊主より恥ずかしい。坊主道はゼロか十か、だ。
「わかった! 悪かったよ! 早くやってくれよッ!」
「〜♪」
 父は鼻歌を歌いながら、バリカンを分解しはじめてしまった。
 シュールなヘアースタイルで、縁側に放置されかけ、狼狽する。
「オヤジッ!」
「アタッチメントはずしてもいいか?」
 父が条件を出してきた。
「いいよ」
 のんだ。
「青々とした頭になるが・・・」
「いいよっ!」
 6mmもツルツルも同じだ。どうせ、しばらくは小坊主生活なんだから。ムクれる娘に、さらに、
「それとなあ」
「まだあるのかよ?」
「ある」
「なんだよ?」
「オヤジじゃなくてパパと呼べ」
「そんなキショイ呼び方できるかッ!」
「昔は呼んでたじゃないか」
「い・や・だ」
「そうか。母さ〜ん、お茶にしよう」
 檀家さんから貰ったボタモチでも食おう、と家にあがろうとする父の作務衣の袖を、グイと掴んで、モゴモゴと
「・・・・・・」
「聞こえんなあ?」
「・・・パパ・・・よろしくお願いします」
 男がオカマの口真似をするときは、きっとこんな気持ちなのかも知れない。
 シュールな頭を下げた。目いっぱい低く。
「そうか〜。うむ。苦しゅうないぞ」
 父は凱旋将軍のように、ご満悦で、カラカラ笑った。
「そうかあ、そんなに坊主になりたいかあ」
 ―足元見やがって!
 勢い任せで、清水の舞台からダイブすると、えらい目に遭う。身を以って知った。いい教訓だ。でも授業料が、乙女の髪とプライドって高すぎやしないか。
 ウィーン
モーター音が再開し、安堵する。
「よし! 気合いだ、気合い入れてやる。気合い! 気合いだぁ!」
 ナントカの一つ覚えみたいに、気合いを連呼し、ナサケヨウシャなく、娘の髪にバリカンを入れていく。
 武骨な男親の断髪に、閉口しつつも、その豪快さに興奮をおぼえる。
 ドサドサと落ちてく髪。
 スースーと涼しくなる頭。
 バイト気分はいっぺんに吹き飛ばされた。でも、
「オヤ・・・パパ・・・」
「ン? どうした?」
「バリカンの刃が鈍ってるよッ! 痛ッ! 痛いって!」
 髪がひきつれて、真澄は悲鳴をあげた。
「ナマクラ小坊主にはナマクラバリカンが丁度いい」
 我慢しろ、気合いだ! と父は、ナマクラ小坊主を押さえつけるようにして、いや、完全に、首根っこを押さえ込んで、散髪を強行する。
「ちょっと! 痛いッ! 痛いよッ! パパ! ゴメン! ゴメンナサイッ! パパ!」
 何ひとつ悪くないのに、謝ってしまう。叱られた幼児みたいに。
 たぶん、旗の立ってるオムライスを目の前に出されたら、ハシャいでしまいそうなほど、幼児退行していた。
 ジジジジ・・・ウィーン・・・ジャリ・・・ジャリ・・・ジャ・・・
「うっ・・・くくっ!・・・いた・・・くな・・・い」
 ―気合い、気合い。
 呪文のように、心で父の口癖を復唱し、歯を食いしばって我慢するが、
「痛ッ!」
 痛いものは痛いのだ。
「耐えろ。一人前の漢への通過儀礼だ!」
「パパッ! アタシ、オンナノコだよッ!」
「仏道に男女の別なし!」
 支離滅裂だ。もはや、理屈もヘッタクレもない。
 ―もう! イヤッ!
 視界が涙で滲む。
 靴脱ぎに長い髪が、散乱している。
 ―こんなもの!
 茶色い残骸を、サンダルでじゃりじゃり踏みにじって、八つ当たりした。
 痛い! と喚く娘を、気合いだ! と父が叱咤する。これも父娘のコミュニケーションの一種・・・なのだろうか?
 痛い! 気合いだ! の繰り返しの末、ようよう青白い坊主頭がひとつ、できあがる。
「ホラ、泣き虫小坊主」
と渡されたハンドミラーで、「新生小ぼんちゃん」と対面する。
 ヒョロッとした少年が、泣き腫らした、真っ赤な目で、真澄を見据えている。
 ―うわ〜!
 正直、ヒイた。
ガキ大将に追っかけまわされてる、田舎のモヤシ小僧になってしまった。
「なかなかいい根性だったぞ」
 父が褒めてくれた。さらに、
「可愛らしいなあ」
 刈ったばかりの頭を、グリグリと力いっぱい撫でられ、おぼえずドキドキした。そして、
 ―これで良かったんだろうな。
とぼんやり納得した。
 父は、自分とお揃いのヘアースタイル(というのか?)になった愛娘が、可愛くてたまらないらしく、グリグリをやめてくれない。たまりかねて、
「パパ・・・恥ずかしいよォ・・・」
 いつのまにか、「パパ」が標準設定になってしまった。
 父は、また凱旋将軍の態度で、
「バイト代上乗せしておいてやるからな」
と高笑いした。
 ―ああ。
 そんなこと、すっかり忘れてた。
「いいよ・・・」
 真澄はうつむいて、断った。
 真夏に雪でも降るんじゃないか? と父は怪訝そうに、ひとりごち、
「まあ、そう言うな。ボウズ丸儲けってやつだ」
と、いつものオヤジギャグ。
 どうやら、父は、真澄がバイト代目当てに、頭を丸めたと思い込んでいる。
 見損なうな、と思うが、じゃあ、なんで坊主頭になった? と訊かれても困る。
「後、片付けとけ」
 父は言い残して去った。




 せっせと地面に散った自分の髪を、箒とチリトリでかき集める。本物の小坊主になった気分だ。
 母が、境内の隅っこでゴミを燃やしていたので、コレもいい? と、チリトリの中身をドサッと放り込んだ。
 火中に投じられた大量の髪の毛は、バチバチッと音をたてて、メラメラ真っ赤になって、反り返っている。
「アラ、可愛い!」
あの父にして、この母あり。ノン気に微笑している。娘の丸刈りぐらいでは、動じない。逆に、
「ねぇ、触らせて、触らせて」
と、またもグリグリ。
 坊主頭というのは、触られまくる運命にあるようだ。黙って受け容れる。
 ちょっと火の番してて、と母が庫裏に戻る。
 自分の髪が焼け焦げる匂いを嗅ぎながら、焚き火の前で、しゃがんでいると、
「ああっ!」
 背後でデカイ声。
 振り返ると、イノブタこと信二が、幽霊でも目撃した表情で、立ちつくしていた。実家の使いで、寺を訪れたのだろう。
 完全小坊主にバージョンアップした真澄に、思いっきり驚愕している。
 ―うわっ!
 よりによって、一番見られたくないヤツに・・・と忸怩たる気持ちになる。
「いや〜、一瞬誰かと思っちゃったよ〜」
 信二が真澄に歩み寄る。残酷な笑みを貼り付けて。
「すっかり小僧さんだねぇ〜」
 勝ち誇った様子で、真澄を見下ろす。
「・・・・・・」
 言い返す言葉が浮かばない。頭の中が真っ白である。
 真っ赤になって、俯くできたてホヤホヤの少女小坊主に、
「これから、珍念ってニックネームで呼ぼうかなあ?」
「・・・・・・」
 立場逆転。
 信二はうなだれている真澄の頭に、手をおいた。本日三度目のグリグリは、屈辱的だった。
「昔の連中に電話しよっかなあ。真山サンが珍念になったって、連絡網で知らせたら、お寺の参拝客も増えるんじゃないかなあ?」
「・・・言えばいいでしょ」
「え?」
 信二の胸倉をつかむ。
 ―気合いだ!
 父の顔を思い描いた。
「皆で見に来なよ」
 ハンパな有髪の小ぼんちゃんより、現在の剃髪姿の方がイケてる、とフッ切った。
「オイ、青年」
 父が立っていた。片手にバリカンを持って。
「ついでに、アンタの頭も刈ってやろうか? 女の真澄にできて、アンタにできんわけはないだろう? 来なさい」
「イ、イエ」
 信二は父娘の迫力にタジタジだ。
「し、失礼しましたあ!」
 スタコラ逃げ出してしまった。
「お前、けっこう男前だったぞ」
「父さん、見てたの?」
 オヤジとパパの中間で手を打った。
「ああ」
 父が封筒をヒラヒラ振る。
「給料日はまだ先だが、一応、ボウズ手当てだ。取っとけ」
「それ、貯金しといて」
「ホウ、いい心がけだなあ。欲しいもんでもあるのか?」
「修行資金だよ」
「修行資金?」
「高校卒業したら、尼僧道場に行く」
 自分でも思いがけない言葉が出る。いや、たぶん、小ぼんちゃんをやっている間に、見つけた自分の進路。
「そこで修行して一人前になって、父さんと一緒に寺、やってく」
「寺の跡取りは克典だ」
 父はつれない。
「克典なんかに任せておけないよ」
 ニッと白い歯を見せて笑った。
「じゃあ、お前が俺の跡を継げ」
 父は、犬の散歩の当番でも決める調子で、未来の住職の座に娘を据えた。
「了解です。得度するときは、父さんにまた、髪剃ってもらうからね」
「ああ、気合い入れてやる。覚悟しとけ」
「しとく」
「得度までみっちり仕込むぞ。あんな素人くさい読経で、道場に入門されたら、俺が恥をかくからなあ」
「よろしくお願いします。お師匠」
 ペコリと坊主頭をさげた。
 父の手で尼僧に・・・。父がお師匠で自分が弟子・・・。父が住職で自分が副住職・・・。嬉しい。
 やっぱり自分はファザコンなんだな、と実感する。
 ―いつかは・・・。
 遠い目で近い未来を想像した。
 父と一緒にお盆参りをする。
 「小ぼんちゃん」ではなく、「副住職」として。
 ワクワクする。
「ボタモチ食うか?」
とクルリと背を向ける父の後を
「食べる」
と追った。

                (了)


         あとがき

「きもーい、きもいよ、迫水さ〜ん」とスピードワゴン風に、セルフツッコミしちゃった今回の作品。初の家庭散髪である。
昔、私の冷めた視線をよそに、「娘といつまでお風呂に入るか」という議題で白熱した議論を交わしていた友人二人(勿論♂)、いま何してるかな〜。
以下、マニアックな話題なので適当に流し読んでください。
余計なお世話なんですが、女の子が実家の寺を継いで剃髪する場合、誰がハサミをとるのか?と考えてみた。
床屋(プロ)か?
得度式のときに剃るんなら、たぶん、そうだろう。
だが、そこは女心、得度式の際、必ず頭を丸めねばならないわけではないので、(修行までの)期限ギリギリまで、髪を保っておきたい人もいるだろう。
妙齢の女性だと、理髪店で衆人環視の中、ジョリジョリやられるのは抵抗があるように思える。出張してもらうという手もあるが、出張サービスしてくれる店をさがしたり、先方とスケジュールを調整したり、結構面倒だったりする。そもそも高齢者でも病人でもないんだし。
坊主にするだけなら、素人でもできるし、案外自宅で、ちゃっちゃっと済ませてしまうのではないだろうか、との仮説を立てた。
そこで、住職である父親の登場である。
日頃、自分の頭を剃り慣れてるわけだし、剃り手としてまさに、うってつけの人物である。
ためらいつつも娘の黒髪にハサミをいれる父親。
生まれて初めて父親に髪を切ってもらって、ドキドキする娘。
そんな想像でコーフンする私はビョーキだ。完全にノーミソやられとる。

父娘で僧侶。
血縁上は「異性の親子」
宗教上は「異性の師弟」
仕事上は「異性の上司部下」
スペクタクルな関係だ。
「お父さん、アタシのシェーバー、勝手に使ったでしょ」
「ああ、アレ、使いやすかったから、つい」
みたいな会話が交わされてたりするんでしょうか。



作品集に戻る


inserted by FC2 system