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地獄の一丁目で恋に落ちた話


 モノホンの地獄を見たけりゃ、別府なんぞに行かないで御山に登れ
と、古くから、宗門の僧侶たちの間で陰口を叩かれているほどの荒修行で、音にきこえし、G僧侶養成学院のあるY山。
 四月。このY山の麓の街に、フラリと現れた青年がいる。
 高島田一成。二十三歳。宗門の末寺の次男坊である。
 彼の、これまでの経緯をざっと述べる。
 親のコネで京都の某仏教大を入学、卒業したはいいが、就職に失敗した。
 フリーターをしながら、就職活動を続けたものの、結果は一向にはかばかしくない。
 こりゃ、ダメだ、よし、坊さんになろう! と一念発起した。
 残念ながら、実家の寺は、すでに五歳年上の兄が継ぐことが決まっている。
 まあ、修行して、僧職免許を取得しておけば、どこかの無住の寺でも紹介してもらえるかも知れない。そう暢気に考えていた。
 早速、父に掛け合って、得度を受け、僧名を授かって、勇躍、G学院へと向かった。
 ナニゆえ、彼は「血の小便が出るくらいにシゴきにシゴかれる」と恐れられ、寺の子弟たちが忌避する地獄を、わざわざ学び舎に選んだのか?
 理由は単純明快である。
 学院が宗派唯一の「男女共学」の僧侶養成機関だからである。
 ─クックックッ。
 尼さんとひとつ屋根の下、寝起きできるのならば、たとえ地獄だろうと構わない。
 一成は尼僧フェチだった。
 幼少の砌、通っていた幼稚園は知り合いの寺が経営していた。で、そこの娘さんが、剃髪した若い尼僧さんで、たびたび幼稚園に手伝いに来て、子どもらの相手をしてくれた。今にして思えば、さほど美人ではなかったけれど、コロコロ笑うカワイイお姉さんだった。
 幼い一成は、若いお姉さん尼の法衣の裾にしょっちゅう、ジャレついては、法衣に沁みこんだお線香の匂いをたっぷり嗅いだ。
 クリクリの頭にも触らせてもらった。
 恥ずかしいなあ、とお姉さんは照れながら、イタズラ小僧に、丸い坊主頭を、さすられるに任せていた。
 小さな性の目覚め。同時に尼僧へのフェチシズムの目覚めでもあった。
 こらから赴く先には、そんなクリクリ頭の尼さんたちが、わんさかいるのだ!
 怯みよりも、高揚が先に立つ。
 長髪のまま、郷里を出発した。
 これには、密かな企みがある。

 山麓の街をずんずん歩いていく。
 街外れ。道が二股に分かれている。
 道なりに左に進めば、隣の大きな市街地に出る。
 右の脇道に入れば、G学院への一本道。
 まさに、浮世と地獄の境界である。
 肝の据わらない新入生は、つい足が左に向き、そのまま、ズラかってしまう、と父から聞かされている。
 ─あった!
 分かれ道のところにポツンと一軒、ちぽっけな建物がある。
 入り口では、赤、青、白の三色がクルクル回転している。床屋の看板だ。
 浮き立つ気持ちを押さえて、鹿爪らしい表情をつくり、床屋の扉をくぐった。
 ─いるいる。
 小さな店の割に、客は多い。
 別に普段から繁盛しているわけではない。今日は特別だ。
 毎年、この日には、店に福の神が降臨なさる。
 G学院に入学する者は、必ず剃髪しなくてはならない。
 たいていの学院新入生は入学前までに、潔く頭を丸める。
 しかし、中には決心がつかず、入学ギリギリまで髪を落とせない情けない連中も、結構いる。
 そいつらは、入学当日、有髪のまま、Y山の麓までやって来て、街に一軒きりしかない、この小汚い床屋で剃髪するのが、慣例だという。これも父から聞いた。
 新入生たちはここで、俗世間をひきずった長い髪を、ザクザク刈られ、チャラついたシャバ気分を粉々に打ち砕かれ、地獄へと続く一本道に送り出される。
 まるで三途の川で衣類を剥ぎ取られる死者のように。
 まさに地獄の一丁目だ。
 店内では、地獄行きの亡者どもが、獄卒のような店の主に情け容赦なく、バリバリと頭を剃られていた。
 男の新入生ばかりだ。
 ─なんだよ。
 アテが外れて、内心舌打ちする。
 もしかしたら、
 尼さん誕生!
 の瞬間が拝めると期待していたのだが。
 女の客を一人発見した。眼鏡をかけた若い女性。
 バカみたいに長い髪をしていた。腰まである。
 きっとシャバでは「サダコ」ってアダ名だったに違いない。
 今日日、こんなロン毛はオタクかオ○ムぐらいだ。まさかオ○ムではあるまい。
 ─オタク女だな。
 オーラでわかる。絶対、有明とかで、男同士がホモッてる気色悪い同人誌を売ってたはずだ。間違いない!
 学院指定の作務衣を着用したオタク女は、阿鼻叫喚の光景をよそに、店に置いてある「ゴルゴ13」のページを、 黙黙とめくっている。
 ─あんま、カワイクない。
 ガッカリした。尼さんにもピンキリがある、という至極当たり前の事実を、失念していた。ハァー。
 これでは、せっかく剃髪を先送りにした甲斐がないではないか。
 諦めて席に座り、順番を待つ。
 店の奥から、人影が出現する。トイレでも借りていたらしい。
 現れたのは、これまた、若い女性。幽霊のような足取りで、坊主予備軍の群れに加わる。
「七海!」
 知り合いだった。
 来栖七海。二十二歳。大学時代の後輩だった。
「高島田センパイ!」
 地獄で仏に会ったみたいな顔をされた。
「お前も学院に入るのか?」
「みたいです」
 他人事のように言う。自分でも現在の境遇が信じられないといった様子だった。

 七海は四国の大寺の娘だった。
 一成同様、コネで大学に入学していた。
 ろくに講義にも出ず、遊びまくっていた。
 画に描いたような放蕩寺娘で、いつも、取替え引替え、違う男をつれていた。美人だし、実家からの仕送りもたっぷりあるらしかったから、男には不自由しないようだった。一成には、ついぞ、お誘いの声はかからなかったが。
 所詮、貧乏寺の次男坊など、七海の眼中にはなかったのだろう。
 合コンで何度か話したことはある。
「高島田センパイ、寺継ぐんですかぁ〜」
と向こうの方から声をかけてきた。
「イヤ、兄貴が継ぐ予定」
 美人の後輩に話しかけられ、ウキウキする。
「来栖こそ、寺、継ぐのか?」
「アタシんとこも兄貴が継ぐんですよォ〜。お互い気楽な身分ですね」
 妙な同族意識を抱いたらしく、一夜限りながら、盛りあがった。
大学ででかい寺の跡取り息子をゲットして、寺嫁におさまるのだ、と七海は楽観的かつ粗大な将来設計を語った。
「ユウユウジテキってやつですよォ」
 酔った一成がちょっと調子に乗って、
「そんなまだるっこしいことしないで、兄貴を押しのけて、実家の寺の住職になったらいいじゃん。大きい寺なんだろ?」
と冗談を言ったら、
「アタシが尼さんになるんですかぁ〜?」
七海は驚いて目を剥き、すぐにゲラゲラ笑い出した。
「アハハハハ、チョーウケる! アタシが頭ボーズにして? 木魚たたいて? アハハハ! サイコー」
「いいじゃん。なっちゃえよ、尼さんに。G学院ででも修行してさあ」
「血のオシッコ出ちゃうんでしょぉ〜? それはマジカンベンですよォ〜」
 さすがに悪名高い学院の噂は、七海でさえ知っていた。
「俗世を離れて修行三昧も悪かないぜ」
「アタシ、ボンノウまみれだから。グッチとかビィトンとか欲しい物いっぱいあるし、海外旅行もしたいし、モスバーガーも食べたい」
 でも、もしかしてサトリ開いちゃったりして、と放蕩娘はまた笑い転げた。

 どうやら瓢箪から駒が出てしまったらしい。
 いつも高級ブランドで身を固めていた七海の作務姿は、痛々しい。
「人生ってわかんないもんですよ」
 肩下まで髪を伸ばしたかつての後輩は、冤罪の死刑囚みたいな顔をして、述懐する。
 三ヶ月前、兄を、車で駅に送っていく途中、ハンドル操作を誤り、壁に激突、車は大破。彼女は奇跡的に無傷だったが、次期住職の兄は重傷を負った。完治には時間がかかると、医師は告げた。
 しかも、このとき、七海はちょっとアルコールが入っていたという。
 生まれて初めて、土下座して詫びをいれる娘に、父親の住職は、償え、と命じた。
彼女の兄が今春入学を予定していたG学院に、彼女が代わりに入学し、修行して尼僧の資格を取り、寺を継げ、と過酷な採決を言い渡した。否も応もなかった。七海は震えながら、肯くしかなかった。
 彼女には、その場で「妙桜」という法名が与えられ、法衣屋が呼ばれ、G学院の入学手続きが行われた。本人が呆然としている間に、ドタバタと灰神楽がたつような、慌しさで、七海、いや、妙桜は尼僧の道を歩むこととなった。
「どうしてこんなことに・・・」
 今年の春はバリ島にいるはずだったのに、と七海は唇を噛む。
 彼女の人生設計は大幅に狂った。
 まさか三ヶ月前には、地獄の一丁目で坊主頭にされる順番を待っている未来など、笑えないギャグとしか思えなかっただろう。
 七海には申し訳ないが、尼フェチの血が騒ぐ。
 七海の剃髪姿を想像して、昂奮する。
 話している間も、オヤジのバリカンによって、次々と修行僧の卵が生み出されていく。
 七海は凄絶な断髪風景にチラリ、チラリ、と臆病な視線を送っている。
 このまま永遠に順番が回ってこなければいいのに、と瞳が語っている。
 そんな七海を嘲笑うように、オヤジは手早く、機械的に仕事を片付けていく。
「お待ちどうさん」
 七海の順番が回ってきた。
「どうぞ」
 処刑人が電気椅子への着席をすすめる。
 死刑囚は座ったまま、立ち上がれないでいる。顔面が蒼白だった。
「どうぞ」
「あの・・・アタシ・・・やっぱり・・・あの・・・」
 七海は取り乱しかけている。
「七海」
 一成はポンと後輩の肩をたたいた。
「こうなったら、もう覚悟きめるっきゃねーよ。どうせ、尼さんになるなら潔くなろうや」
 七海はうつむいて、沈黙している。
 何かをフッ切ろうとしている表情だった。
「コレもブツエンてやつだよ、七海。ホトケサンがお前を見込んで、お前の手をつかんで、仏門の世界に引っ張り込んだんだ」
「・・・」
 七海が立ち上がった。理髪台に向かって、ゆっくりと歩き出す。その背中に、
「一緒に血のションベン流そうぜ」
と声をかけた。
 七海が振り返って、ニヤッと笑った。笑顔は思いっきり、ひきつっていた。それでも今までよりは、ずっと男前な顔になっていた。
 理髪台に腰をおろした七海に、オヤジが慣れた手つきで、ケープを巻く。
「本当にいいの?」
とオヤジが七海に訊いている。さすがに美人を丸坊主にするのは、気が引けるのだろうか。
 ─オヤジ! 余計なことを!
 腹が立つ。七海の決心が鈍るだろうに。
「お願いします!」
 七海が答える。これまでの彼女からは、想像もできないハキハキした口調だった。杞憂だったようだ。
「バサッと刈って下さい!」
 こうなると女の方が度胸がいい。逆ギレしてるようにも聞こえたけれど・・・。
 ジョキッ、ジョキッと七海の髪が、耳の横あたりで揃えられていく。たぶん、数多の男たちに、褒められ、愛でられてきたであろう、綺麗な長い髪が。
 じっと七海の後姿を見つめる。七海が尼僧に生まれ変わる一部始終を、網膜に焼きつけるべく。
 オヤジはプロフェッショナルだ。
 テキパキと、粗切りを済ませ、七海を、カッペの女子中学生みたいなオカッパ頭にしてしまうと、バリカンを握る。こんなふうに、今まで何十人っていう尼さんを、製作してきたのだろう。スイッチオン。
 ジジジジジ
 鏡に映っている、七海の顔が歪む。
 土壇場になって、激しい躊躇いの色が浮かんでいる。
 お嬢様の華麗なる未来予想図に、バリカンなどという野蛮な小道具は、登場すら許されなかったはずだ。
 未知の散髪器具との遭遇に、据わりかけた根性がグラついている。
 ここで、スミマセン! ヤッッパリヤメマス! と泣きをいれて、遁げ出せば、坊主頭からも、地獄の学院生活からも、逃れられるのだ。
 七海は葛藤している。
 ロングヘアーのお嬢様の妄執と、修行を目前にした尼僧のプライドの狭間で。過去と未来の狭間で。
 オタク女も「ゴルゴ」から目をあげて、ジッと同性の剃髪を見守っている。
 七海は「未来」を選択した。
 ギュッと目をつぶって、バリカンを受け容れた。
 ジジジジ・・・ザザザ、ジャリジャリジャリ・・・。
 ハラリ、と柔らかそうな髪が床に落っこちた。
 切り拓かれた青い一本の小道。
 そいつが、七海が三途の川に、足を突っ込んでしまったという事実を、百万の言葉より雄弁に物語っている。あとはザブザブと川を渡ってしまう他はない。
 ─運命ってやつは・・・。
 不思議なものだ、と実感する。
 数年前はお互い、僧侶になるなど、考えもしなかった。剃髪も修行も酒席のギャグだった。そんな二人が、僧侶養成所の目と鼻の先の床屋で再会してしまった。
 ─七海・・・。
 地獄行きの亡者たちの汗とアブラが沁みこんだ、年季の入ったバリカンは、ナワバリを拡大していく。
 七海はグッと歯を食いしばって、バリカンの頭上での傍若無人な、侵犯行為に耐えている。
 いや、耐えていない。
 ─泣いてるじゃねーか!
 堪えきれずに、閉じた目から、涙がこぼれている。
 やがて声を殺して、嗚咽しはじめた。
「アンタみたいな娘、結構いるんだよ」
とオヤジが、泣いている尼さんの卵に、慰め顔で言う。
「でも皆、剃っちゃった後はケロッとしてさ」
 案外そういうもんだよ、と続ける。慰めつつも、尼さん製作作業の手は休めない。プロだ。オヤジも地獄の一丁目で、色んな尼さん候補生と触れ合ってきたのだろう。
「そ、そうですよね。い、一度は、一度は・・・」
通らなきゃなんない道ですもんね、と製作途上の尼さんは、オヤジの優しさに、応えて、しゃくりあげながらも、破顔してみせ、
「ひゃあ!」
と間抜けな悲鳴をあげた。
 微笑んだ拍子に、目が開いて、鏡の中の見慣れぬ自分の姿が、飛び込んできたのだ。
 けれど、七海はもう目を閉じなかった。
 青い地肌と、栗色がかった髪が拮抗する、カッコ悪い自分を見据える。
そうやって、
 尼になる
という現実と対峙する。
 七海の頭上で、しぶとく頑張っている髪を、
 ジジジジ・・・ジャリジャリジャリ・・・バサリ・・・
 ジジジジ・・・ジャリジャリジャリ・・・バサリ・・・
 バリカンは、デモ集会の群集を追い散らす騎馬警官のように、引き剥がしていく。

「お疲れさん」
 オヤジが、ひとつ試練を乗り越えた新米尼をねぎらう。
「ありがとうございました」
 青い頭がペコリと下がる。
 新発意、妙桜は理髪台を降り、トコトコと一成の許に戻ってきた。
「やっちゃった」
 照れ臭そうに笑う。
「カワイイ尼さんになったじゃんか」
 100%本音である。
 ─こりゃ絶対、学院のアイドルになるな。
「じゃあ、学院でまた会おうぜ」
「高島田センパイが終わるまで待ってます」
と妙桜。
「アタシが頭剃ってる間中、後ろでずっとニヤニヤ見てたでしょ? お返しにセンパイが剃るとき、じっくり見学してあげますよ」
「入学初日から遅刻するぞ」
「そのときは二人でぶっ飛ばされましょう」
覚悟のない寺娘の姿はもうなかった。

 次はオタク女の番だ。
 学院の新入生だよね、とオヤジはオタク女の返事も待たず、ジャキジャキと腰まである黒髪ロングを刈りはじめる。 ─おいおい。
 オヤジの現金さに呆れる。
 妙桜のときは、本当にいいの? とか気を遣ってたくせに、オタク女には冷たい。
 オタク女はとっくに心の準備ができていたようで、オヤジの無慈悲な接客にも動じず、勇ましく頭を刈られている。
「あの娘、いい度胸してますね」
「ベソかいてた誰かさんと違って、頼もしいなあ」
「グーで殴るよ」
 ジャキッと髪が切り落とされ、オタク女の隠れていた耳が露出する。
 真っ赤だった。
 二人に後ろからジロジロ眺められ、実はかなり、恥ずかしかったのだろう。
 ヴイィーン
 バリカンはずっと休みなく咀嚼運動を続けている。オタク女のたっぷりした髪に、胸焼けでも起こしたかのように、不機嫌に唸っている。
 ジャリジャリジャリ
 あ!
とオタク女の口が開く。普通、女に対しては、遠慮気味のバリカンがちっとも遠慮してくれないので、動揺している。けれど声はたてない。
 後ろの無遠慮な視線を意識しているのが、ありありとわかる。
 プライドを保つ為、無理に笑顔をつくろうと、懸命になっている。
 オタク女の努力に反して、彼女の耳はさらに赤くなる。
 ジジジジ・・・ザザザ・・・ジャリジャリジャリ
 バサッ、バサッ
 バリカンはオタク女の乙女心など、まったく意に介さず、盤上のオセロが裏返っていくように、ビッシリ密生した黒髪を、涼やかな青に変えていく。
 たちまち、眼鏡の尼さんができあがった。
 誕生した尼さんは、ションボリとオヤジの剃刀に頭を委ねている。
 ─ウソだろ?!
 一成は目を疑う。
 さっきまでの、サダコみたいな重ったるいロングを、きれいさっぱり剃り落としてしまうと、若々しくて、清潔感があって、白い頬をほんのり赤らめて、恥らってるところなんて、清楚な色香がある。
 ─カワイイじゃねーか!
 眼中になかったロン毛のオタク女が、初々しいクリクリ頭の尼さんに変身して、興奮する。
 オタク女、いや、新人尼さんは理髪料金を支払うと、目を伏せ、そそくさと荷物をまとめる。相当恥ずかしかったようだった。
 床に経本が落ちている。彼女の持ち物だ。
「コレ、忘れてるよ」
 逃げるように店を出て行こうとする後姿を、呼び止める。
「あ、ありがとうございマスッ!」
 元オタク女は、狼狽しながら、一成の手から経本をひったくると、剃りたての頭をペコペコさげて、去っていった。オタク特有のオーラは、すっかり消えていた。
 ああいうの、彼女たちの業界では「メガネっ子」「ドジっ子」っていうんだろうな。
 経本には、紛失したときの対策にか、
 安井英俊
と彼女の法名が記入されていた。やっぱりドジなんだろう。
 ─英俊ちゃんか。
 きっちりチェックした。
 ─こりゃ、七海もウカウカしてられないな。
 学院のアイドル候補がもうひとり。
「ナニ見とれてるのよ」
 妙桜がおっかない顔で睨んでくる。
「お兄さん、待たせたね」
 三途の川の渡し守が、最後の客を招く。
 ─さてと、地獄に行きますか。
 一成は理髪台に歩み出す。

 それから間もなくして、理髪店のドアが開いて、二つの坊主頭が出てきた。
 二つの坊主頭は寄り添うようにして、学院への道を進んでいった。

              (了)


          あとがき

入学シーズンの尼僧学校のそばの床屋で、張り込んでたら、新入生の女の子が、実際に剃髪する様子を拝めるかも知れない・・・ってヘンタイの思考やね。
恋愛物はどうも苦手です。
ちゅうか、このストーリー、「恋愛モノ」「断髪モノ」ではなく、「熱血モノ」にカテゴライズされるような気がする、なんとなく。
戦いを前に怖気づく未熟な戦士⇒それを仲間の戦士が叱咤し、励ます⇒発奮し戦いに挑んでいく未熟者⇒勝利、そして芽生える友情、みたいな展開。
この物語のアナザーストリーが二編ほどあるんで、折があれば、紹介したいです。




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